ヤコブ・インゲブリクセンが優勝したパリ五輪男子5000mの決勝レースについて、実際のレースデータともにヤコブに振り返ってもらいました。そして、オリンピックチャンピオンになるために必要なトレーニングやレース戦略についても貴重な話を聞くことができました。


オリンピックで金メダルを獲るためには何が必要でしょうか?このような成功を収めるために、人はどこまで肉体を追い込まなければならないのでしょうか?ヤコブ・インゲブリクセンにとって、5000mでの五輪制覇はトレーニングの隅々に細心の注意を払ってきた長年の経験の賜物です。彼は過去10年間、兄のヘンリクやフィリップと常に協力し合って兄弟3人で成功のレシピを築き上げました。しかし、そのトレーニングに向けてのマインドセットや、肉体を絶対的なピークまで磨き上げるには何が必要なのでしょうか?COROSは、パリ五輪男子5000m覇者のヤコブに、実際のレースデータの振り返りとともに、ピーキングの手法やトレーニングについても話を聞くことができました。

着用ウォッチ:COROS PACE 3

分析ツール:COROS Training Hub

今季のトレーニング


ヤコブの今季のトレーニングは、彼が望んでいたようなスタートを切ることができませんでした。冬季の故障から復帰したヤコブは、2月中旬までまとまったトレーニングができていませんでした。「2月中旬からやっと毎日走れるようになりました。そこからは、全て完璧な流れでトレーニングを消化することができました」。ヤコブはまず、2月中旬から4月下旬にかけての8週間のトレーニング期間で走行距離と強度を少しずつ積み上げていきました。そこから5月下旬のプリフォンテーンクラシックでの1マイルレースに向けて前に軽いテーパリング(レース前にトレーニング負荷を減らすこと)を行っています。

「その時期に軽くテーパリングをしましたが、もちろん構築したベースを使い果たすほどのものではありませんでした」


2024年の春にベースフィットネスの構築を行った後、ヤコブはギアチェンジを図りました。

「ここから成功を強く意識し始め、練習量と強度を探りながら自分の身体が消化できるギリギリのところを突きました。計画していたことは全て実行できましたが、そこにリスクがなかったわけではありません......。私たちのチームはトレーニングで完璧なまでに追い込むことができました」


レース当日に発揮できる力を確信する

ヤコブがライバルたちと一線を画しているのは、自分のトレーニングに対する強い自信と、本当に重要な局面で全力を発揮できる能力です。

「多くのアスリートはシーズンのピーク期でのトレーニングで自分の力を試したがあります。しかし、私たちは違うアプローチをしているんです。私たちはトレーニングを農家の種まきから収穫のように考えています。収穫するのはニンジンなんですが、多くのアスリートはニンジンの出来栄えを確認するために、早めの時期にニンジンを引き抜こうとするのです。実際には、一度収穫すると元に戻すことはできません。私たちは(目標の)レース当日までにニンジンを畑から収穫するようなことはしません。それは、私たちの準備や経験が成功の可能性を高められると信じているからです」

これは別の言い方をすれば、ヤコブと彼の兄弟は、目標のレース当日までに自分の最大限の力を試すことはせず、最高のレースのために温存しておくということを意味しています。このアプローチに不安を覚えるアスリートもいるかもしれませんが、ヤコブと彼の兄弟は年間を通してデータ分析を入念に行なってきたことに大きな自信を持っています。

「年間を通して同じセッションでのデータ収集をたくさん行なってきました。そこには一貫性があって、かつオーバートレーニングでないことを確認しつつ、自分のフィットネスがどの程度の数値なのかを正確に把握するために、それぞれのセッションでのデータを比較することができます」


重要種目でのピーク

ヤコブと彼の兄弟は、トレーニングの全てに注目しています。そして、彼は最高レベルでの競争ではある種の運が必要であることも指摘します。結局、偉大な選手になるために引退までトレーニングに打ち込む過程で、ある日突然何かが変わったり、思い通りにならないことが起こったりもします。

時には運の要素もありますが、成功の確率を高める最善の方法は、運の要素を制限し、自分の力でカバーできる範囲で全てをコントロールする能力を高めることです。

「10回レースをすれば、そのうちの何回かは負けるかもしれないですが、私の目標は可能な限り最大限の準備をすることです。データをインプットしてそれらの情報をもとに調整ができるようになります。私たちは常にパターンを探していて、何が効果的なのかを知っています」


ヤコブの上記のニンジンの例えに似ていますが、彼は年間を通じてピークとなるレースの前に休息をとることを怠りません。上のHRV(心拍変動)のグラフに見られるように、ヤコブは身体が変化に対応する準備がどの程度整っているかを確認するための膨大なデータを持っています。彼の5月下旬から8月上旬にかけてのHRVの推移を見ると、彼が自分の能力を最大限に発揮する大会に向けて自分の状態を正確に把握していることがわかります。

「今は自動化されたプランがあるので、体がとても慣れていて、いつも同じような感覚で良い状態にある時がわかるんです」


パリ五輪5000m決勝でのレースデータ分析

パリ五輪では1500mで4位に終わってメダルを逃したヤコブでしたが、5000mのレースはまた違った要素が必要なためレースを楽しみにしていたと言います。

「1500mはペースが速くすぐ終わるので、レース中にじっくりと考える時間がありません。でも、5000mなら戦略を考える余地があります。もし、最初の4000mをゆったり走ったら、そこからのラスト勝負はキツいですが、今までの経験から自分のエネルギーを使い切るラストスパートを私は知っています」

5000m決勝のレース全体を通して、ヤコブはエネルギーをマネジメントすることができました。レース序盤はエネルギーを温存しつつ、ラスト勝負の重要な場面では位置を押し上げ、優勝への準備を整えていきます。ここでは、ヤコブとともに実際のレースデータを分析していきます。彼の心拍ゾーンと5000mのパフォーマンスが彼の実際の経験とどのように一致しているかを以下に詳しく見ていきましょう。

「レースデータを確認すると、それが実際のレースでの主観とどのように一致しているかを知ることができます。そして、自分がどのようにレースを進めたのかが、正しかったかどうかを知るために大きな洞察を得ることできるのです」


スタートから1000mまで


ヤコブはウォーミングアップ中にウォッチをスタートさせ、クールダウン後まで計測を終了していません。また、COROS Training Hubを活用することで、アップとダウンを省いたレースの部分のみを選択すると、レース後にレースデータを簡単に確認することができます。

レース直前の心拍数:121bpm

平均心拍数:162bpm

最大心拍数:178bpm

平均ケイデンス: 185歩

最大ケイデンス:200歩

ヤコブがメインスタジアムに現れてからレース前の整列までに観衆がどよめきました。上記のデータから、スタートの号砲を待つ間にヤコブの心拍数が少し上がっているのがわかります。レースが始まると選手たちは自分の位置取りを進めながら集団は落ち着いたペースで始まりました。ヤコブの心拍数は最初の800mで彼の閾値ゾーンの166~177bpmまで上昇しましたが、そこから彼の心拍数は落ち着いていきました。

「もっと速いペースのレースを期待していて少しがっかりしたのですが、集団の中での自分の位置取りとしては(5000mにしては)いつもより少し前にいました。最初の1000mは2分49秒で通過しましたが、このペースでは誰も疲れないだろうから......後々にペースを上げていくつもりでした」

1000mから3000mまで

平均心拍数:176bpm

最大心拍数:181bpm

平均ケイデンス: 188歩

最大ケイデンス: 195歩

1000mから3000mまで、ヤコブは先頭が見える前目の位置でレースを進めましたが、ペースは先頭の選手に任せていました。ヤコブはレースの中盤にかけてケイデンスを上げると、心拍数もやや上がり3000m地点付近で閾値を超える180〜181bpmに上昇しています。そこからペースはどんどん上がっていってVO2maxゾーンに突入していきますが、ヤコブは先頭に出るタイミングを見据えていました。

「中盤から少しずつペースが上がってきました。 エチオピアの選手たちが先頭集団を形成していて62秒台のラップになり始め、このペースで段々と集団が絞られていきました。そこから、誰かが60秒切りのラップに上げることがあれば、対応すべく先頭が見える位置で準備していました」

3000mから4400mまで

平均心拍数:177bpm

最大心拍数:183bpm

平均ケイデンス: 192歩

最大ケイデンス: 196歩

レース中盤からペースが上がり、ヤコブも3000m過ぎからケイデンスは193歩に、心拍数は183bpmまで上昇しています。ペースはそこそこ速かったもののヤコブは日頃のトレーニングの成果をこの中間走の局面で発揮します。3000mから4400mのほとんどで、心拍数を閾値よりも少し高いぐらいの値に保つことができていたのです。集団の中で余裕を持ちながら、ヤコブはライバルたちの様子をうかがいつつ、全体を俯瞰していました。

「先頭集団の後方から様子を見るために加速しました。そこから残り600mあたりで、私は内側で囲まれてしまいました......。でも、この時点で私よりも前の選手たちは脚を消耗していました」

金メダルまであと600m

平均心拍数:179bpm

最大心拍数:182bpm

平均ケイデンス:208

最大ケイデンス:223

最高レベルのレースで金メダルに手が届きそうな時......選手はその目標に向かって全力を尽くします。残り600mからエチオピアのハゴス・ゲブリウェトが優勝を目指してロングスパートをかけました。ヤコブはレースを通してポジションをキープすることに集中しつつ、残り200mでゲブリウェトを捕え、そのままのペースを保ちながらで栄光のフィニッシュラインを駆け抜けました。

「私は残り600mから動き出しましたが、先頭のペースが速かったから、きっと前の進路が開いてくれると思っていました。ラスト数周はライバルの動きを確認していて、彼らの様子がどんな感じかを把握しつつポジションが厳しくなる局面もありました。でも結局、私から動いて外側から位置を押し上げていきました。残り500mで無理をすると残り200mに影響するので、一気に先頭に付いていこうとはせずに、じっくりと前を追いました。最後のバックストレートでは、先頭が疲れてきているのを感じていましたが、彼を捕らえるのにエネルギーを使ったので同じペースをキープすることに集中しました。そこでは、最後の直線に向けてほんの少しセーブしていまいした」

優勝と鐘の音

ヤコブの勝利の後、彼はパリ五輪の陸上種目のチャンピオンが行う「ノートルダム大聖堂」の大規模改修に用いられる鐘を鳴らしました。

「他のチャンピオンたちが鐘を鳴らしているのを見て、自分もその瞬間を待ち望んでいました。驚くほど楽しかったので止めたくなかったぐらいです。優勝の鐘の鳴らすという経験はとてもクールなことでした。

その間に、レース後とはいえヤコブの心拍数は145bpmから161bpmに上昇し、オリンピックチャンピオンの興奮と喜びを味わいました。

ヤコブ・インゲブリクセンとCOROS

ヤコブはこれまでの2024年の全期間で、COROS PACE 3COROS心拍センサーCOROS POD 2を活用しました。これらのツールを使用することで、ヤコブは自身のトレーニングやレースについて、これまで以上に多くの洞察を得ることができています。

「レースごとにデータを比較したり、このようなレースを振り返って自分の経験・主観と一致するかを確認するのは、とてもクールなことです。エネルギーの使い方と、それを正しく使うことがいかに重要かがよくわかります。できるだけ安定した走りを心がけなければ5000mで成功することはできません。残り1000mから順位を上げて、残り600mから再び差を詰められた展開は完璧でした。もし他のレースの進め方をしていたら、違った展開になっていたと思います」

ヤコブはインタビューの最後に、上達を目指す全ての人に向けて、まずはトレーニングデータの記録や収集を勧めています。それが、最終的にはトレーニングが成功に繋がって運さえをも味方にすることができると考えているからです。

「データはトレーニングが多すぎるか、少なすぎるか、または速すぎるかを確認するために活用できます。最も重要な時期に準備ができているかを確信するために、データ分析や活用をすることが非常に重要です」


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